プロンプトエンジニアリングの次に来たもの――コンテキスト・グラフ・ハーネスの4段階
「プロンプトの書き方研修をやったのに、3か月後には誰も使っていない」
AI導入の現場で、これに近い相談を何度も受けてきました。研修の内容が悪かったわけでも、社員のやる気が足りないわけでもありません。手をつけた段階が、その会社の課題と合っていなかったというだけです。
社内のAI活用には、はっきりと段階があります。世の中では「プロンプトエンジニアリング」という言葉が先に広まりましたが、その先に3つの段階が続いています。ここでは4つを並べて、自社が今どこにいるかを測るための地図として整理します。
4つのエンジニアリング
出典: 自社作成
言葉は違いますが、4つとも「AIに良い仕事をさせるための設計」を指しています。違うのは設計する対象です。
新人に仕事を任せる場面に置き換えると、区別がつきやすくなります。
- ①プロンプト ― 頼み方を工夫する
- ②コンテキスト ― 手引きを1枚渡して、その人の机に置いておく
- ③グラフ ― 社内の地図を渡す(この台帳が動くと、あの報告書も直る)
- ④ハーネス ― 席と道具と権限を用意し、確認の手順を決める
4つは置き換わっていくものではありません。下から積み上がるものです。②は①を含み、④は①②③を含みます。
①プロンプトエンジニアリング ― なぜ定着しないのか
指示の文をどう書き、どう組み立てるかの設計です。「あれを整理して」ではなく「9月の受注データを、拠点別・商品別に並べて」と書き直す。ここまでは多くの会社が到達しています。
この段階の性質は、効果がその1回で終わることです。
うまい頼み方は、書いた人の頭の中にしか残りません。隣の席の人には移りませんし、その人が異動すれば消えます。研修で配ったテンプレートが3か月で使われなくなるのは、意欲の差ではなく、個人の工夫は個人と一緒に消えるからです。
もう一つの限界があります。渡している情報のほうが乱れていると、どれだけ丁寧に頼んでも答えは乱れます。答えの上限を決めているのは、頼み方ではなく情報のほうです。
税抜と税込が混ざった売上データを渡せば、前年比の数字は現実とかけ離れます。このときAIは間違えていません。渡した情報のほうが乱れていて、AIがそれを映し出したというだけです。
②コンテキストエンジニアリング ― 情報のほうを直す
AIが答えを作るその瞬間に、手元に何を載せておくかを選び、保つための設計です。指示文だけでなく、参照する社内データ、過去のやり取り、使える道具まで、AIの視野に入るもの全体を扱います。開発元のAnthropicは、これを「推論時に最適な情報の集合を選び、維持する戦略」と定義しています(出典: https://www.anthropic.com/engineering/effective-context-engineering-for-ai-agents )。
実務でやることは、大掛かりではありません。担当業務について、次の3つを書き出すところから始まります。
1. 言葉 ― 社内で呼び方が割れているものの対応表。「うちで言う”出荷済み”は、拠点の帳票では”引当済み”と同じ」。名前を統一する作業ではなく、同じものだと分かる紙を1枚作る作業です。
2. 原本 ― どのファイルが正本か。同じ名前のExcelが3つある状態では、AIはどれを信じるか決められません。人間も決められていないからです。
3. 基準 ― 判断の線。「この数字を超えたら発注する」「この条件なら確認を飛ばす」。多くの場合、これはどこにも書かれておらず、担当者の経験の中にあります。
この3つは、業務を分かっている人にしか書けません。外部のコンサルにも情シスにも書けない部分で、だからこそ書いた時点で他社が真似できない資産になります。
そして①との決定的な違いは、一度置けば、直すまでずっと効き続けることです。書いた本人が休んでも止まりません。チーム全員とAIが同時に使えます。業務の棚卸しで滞りを洗い出したあと、実際に手を動かすのはここです。
③グラフエンジニアリング ― 部署をまたぐ問いで止まる理由
情報を「もの」と「関係」の形で持たせる設計です。商品・取引先・拠点・案件といったものを点として置き、「この商品はこの拠点にある」「この報告書はこの台帳から作られた」という関係を線で結びます。技術的にはナレッジグラフやGraphRAGと呼ばれる領域です(解説: https://www.meilisearch.com/blog/graph-rag )。
なぜこれが要るのか。②まで整えた会社で、次に出てくる詰まりがこれだからです。
- 繋がりが無いとき ―「この商品の在庫は」には答えられる
- 繋がりがあるとき ―「この商品が動いたら、どの拠点の、誰の、何が影響を受けるか」に答えられる
1つの棚の中で完結する問いには、②まででも答えが返ります。2つ3つの棚をまたぐ問いで止まるのがこの段階の課題です。そして現場で本当に知りたいことは、たいていまたいでいます。
意外に思われますが、②で作る「言葉の対応表」が、そのまま③の入口です。「AはBと同じもの」という一行が、最初の1本の線になります。繋がりは、まとめて作るものではなく、業務の中で1本ずつ増やしていくものです。
④ハーネスエンジニアリング ― 器と権限と確認
ハーネスは馬具や安全帯を指す言葉です。力のあるものに装着して、正しい向きに働かせるための装置という意味で使われています。
AIの周りを固める仕組み全体の設計を指します。具体的には次の4つです。
- 知識源の固定 ― 毎回ファイルを添付しなくても、決まった資料を最初から見ている状態にする
- 道具と権限 ― 何を使ってよく、どこまで見てよいかを決める
- 確認と歯止め ― どこで人が確認し、何が起きたら止めるかを決める
- 記録 ― 何をしたかを後から追えるようにする
「エージェント」と呼ばれているものの中身は、ほぼこれです。モデルそのものより、周りの器の作り込みが結果を左右するという理解が、この数年で定着しました(参考: https://www.databricks.com/blog/ai-harness )。
ここが最後に来るのには理由があります。中身が無いまま器だけ作ると、空の器になるからです。②で書いた1枚が、この器に入れる中身になります。CopilotとAIエージェントの違いで書いた「条件を満たしたら自分で動く」仕組みは、④まで到達して初めて成立します。
順番を飛ばすと戻ってくる
出典: 自社作成
相談を受けて最も多いのが、①から④へ飛ぶパターンです。プロンプト研修の次に、いきなりエージェント構築の話になる。器は組み上がるものの、中に入れる業務知識が無いため、汎用的な答えしか返らず使われなくなります。
逆に、②を飛ばして③に行こうとするケースもあります。言葉が揃っていないうちに情報を繋ぐと、間違った線が引かれます。「出荷済み」と「引当済み」が別物として繋がれば、繋がるほど答えは濁ります。
順番には理由があります。
- ②が無いと、①をどれだけ磨いても上限が上がらない
- ②が乱れていると、③で引く線が間違う
- ②が無いと、④の器が空になる
②が全部の土台です。そして②は、道具を買っても手に入りません。業務を分かっている人が書くしかない部分だからです。
自社の現在地を測る
どの段階にいるかは、次の質問で見分けられます。
①で止まっているサイン
- AIを上手に使う人と使わない人の差が、社内で開いている
- 「良いプロンプト集」が共有フォルダにあるが、更新されていない
- 担当者が不在の日は、AIを使った作業も止まる
②に手をつけるべきサイン
- 同じ説明を、毎回AIに書いている
- 「どれが最新版か」を人に聞かないと分からないファイルがある
- 判断の基準が、特定の社員の頭の中にしかない
③が視野に入るサイン
- 単一の資料で答えられる問いには答えが返るが、複数をまたぐと外れる
- 部署ごとに同じものを別の名前で呼んでおり、突き合わせに時間がかかる
④に進めるサイン
- 業務ごとの「言葉・原本・基準」が、文書として存在している
- 毎回ファイルを添付する手間が、いちばん面倒だと感じている
ほとんどの会社が①と②の間にいます。そこから②へ一段上がるだけで、AI活用は「使える人の技」から「会社の状態」に変わります。
判断のよりどころ
4つの段階を一言で並べると、こうなります。
頼み方を工夫するのが①。説明しなくても伝わる状態をつくるのが②。情報同士を繋ぐのが③。仕組みとして残すのが④。
見分け方はもう一つあります。その工夫は、担当者が休んでも残るか。残らないなら①、残るなら②以降です。
社内AIが定着しない会社の多くは、②を飛ばしています。そして②は、外注できない代わりに、新しいツールを1つも増やさずに始められます。増えるのは、手元に残る紙のほうです。
自社がどの段階にいるか、どこから手をつけるかの整理は、進め方と無料AI診断で業務ごとに分解しています。